すべてを愛した君のために……
病室で、長い昏睡から目覚めた純一の耳にまっさきに響いたのは、恵(めぐみ)が自分を呼ぶ声、「ジュン!」だった。なぜ僕は病院のベッドにいるのか? 何が僕に起きたのだろう? 純一の記憶は、その一点だけは暗闇の中だったが、恵との幸せな日々は鮮明に蘇ってくる。退院してからも、恵は以前と変わらない優しい笑顔で純一に接してくれる。だが、純一自身の中に自分でもコントロールできない何かが生まれ、恵に対しても別の感情が生まれてくるのだった。すべてを思い出し、知った純一は、ある決意をする。それは恵への愛の証だった……。
東野圭吾の『変身』、待望の映画化
1985年、江戸川乱歩賞を受賞した『放課後』でデビューして以来、小説からコミックの原作まで、ミステリーの枠を超えた多彩な作風で読者ファンの熱い支持を集めてきた東野圭吾。その作品はこれまでにも『秘密』『g@me』『レイクサイドマーダーケース』の映画化のほか、数多くドラマ化もされ、映像作品との相性のよさが実証されてきた。'91年に刊行された『変身』は、脳移植によって他人に人格を支配される青年の苦悩を描きつつ、純粋な愛の形を追求したラブ・ストーリーの傑作だ。主人公の純朴な青年を、女性からも男性からも圧倒的な支持を受ける玉木宏が演じ、その恋人の恵を、若手女優の中でも群を抜く存在感と天性の演技力で称讃される蒼井優が演じる。この作品がデビュー作になる佐野智樹監督は、美しい映像とスリリングな展開で、2人の愛の物語を、丁寧に演出していく。
絵を描くことに熱中する純真で優しい青年だった純一は、手術後、別の人格に変わっていってしまう。玉木宏は、誠実な青年が少しずつ粗暴になっていく過程を見事に演じきり、俳優としての飛躍的な成長を示す。一方、変わらない愛情で彼を支えつづける恵を演じる蒼井優は、初めてのデートでサンドイッチを作ってくる明るく素朴な女の子が、やがて彼の変貌に何度も傷つけられ、感情の激流に呑み込まれそうになりながらも、大きな母性に等しい愛で彼を包みこむ姿を熱演。愛することを知った女性という新境地を繊細かつ力強く演じて、その力量をあらためて見せつけるのだ。そして、純一の医療チームのひとりで魔性の女でもある女性を佐田真由美が、純一の変貌の鍵を知る謎めいた女性を釈由美子が演じるなど、豪華キャストが脇を固め、2人のラブストーリーに陰影深い重奏曲を添えるのだ。
ある病院の特別室で、長い昏睡から青年が目覚める。医師に取り囲まれ、「自分の名前がわかるかね?」と聞かれた彼の耳に、「ジュン!」と優しく呼びかける女性の声がこだまする……。
彼、成瀬純一(玉木宏)は、毎週金曜日に画材店に通っていた。工場で働く彼は絵を描くことに熱中していたのだ。その店で働く恵(蒼井優)は、笑顔がとびきり素敵な女の子だ。ある日、純一は勇気を出して、湖のある森に恵(めぐみ)を誘う。それまで風景画しか描かなかった純一は、その日から恵の肖像画を描きはじめ、2人は急速に親しくなっていく。
恵との幸せな日々をベッドの中で思い出していく純一は、ある夜、人のいなくなった解析室の中に入り、低温保存庫の中に人間の脳と思われる標本を2つ発見する。そのひとつには「JN」と記されていた。純一のイニシャルだ。彼は、それまで詳しい説明を言いしぶってきた担当医師の堂元(北村和夫)に手術の詳細を問いただす。彼が施されたのは、世界初の脳移植手術であり、損傷を受けた部分に他人の脳片を移植したのだと聞かされる。
あの日、純一は恵と一緒に住む部屋を探すために不動産屋にいたのだった。そこに1人の青年が入ってきて、拳銃を振りかざし、金を要求した。その時、奥のスペースで遊んでいた少女が何も知らずに出てきて、その音に驚いた犯人は少女に拳銃を向けた。その時、とっさに少女ををかばった純一の頭部に銃弾が撃ち込まれたのだった。
退院が近くなった時、やっと面会を許された恵が訪ねてきてくれる。だが、純一は、以前とは食べ物の好みが一変し、描く絵のスタイルも変化する。そればかりか、勤め先の工場でも、以前は人と争うことなど皆無だったのに、同僚たちの仕事ぶりを痛烈に批判し、アパートの隣に住む若者の甘ったれぶりに殺意さえ抱いてしまう。そして愛する恵の天真爛漫な言動にさえ、いらつきを抑えきれなくなるのだった。
そんな純一の耳に、どこか遠い記憶の彼方から、ピアノの音が聞こえてくる。それは純一の記憶ではなかった。一体誰の記憶か? 自分の脳には誰の脳が移植されたのだろう? その脳が自分を乗っ取ろうとしているのだろうか?
いずれ元の自分は消えてしまうのだろうか?
苦悩を深める純一が偶然出会った女性は、あの強盗犯、京極瞬介(松田悟志)の双子の妹(釈由美子)だった。兄妹の育った家で、強盗事件の発端になった彼らの生い立ちと恨みを彼女は純一に語ってくれる。彼女が語る瞬介は優しい青年だったが、父への恨みから世の中全体を、特に金銭的に恵まれた生活を営む者たちを激しく憎むようになっていたのだ。そして彼女は、純一の前に赤い小さなおもちゃのピアノを差し出す。幼い日、いつも瞬介はこのピアノで童謡「くつがなる」のメロディーを弾いていたという。純一もまた、ただ自然とその曲のメロディーを弾くのだった。
こうして純一はすべてを知るが、だからといって変わっていく自分を止めることは、彼の力ではできない。彼の本当の葛藤は、ここから始まるのだった……。